2015年06月29日

FMIDIDATを回顧する

 前にも書きましたが、NIFTY-ServeのサービスでMIDIデータをダウンロードできるフォーラムがあったんです。創世期の少しあとから閉鎖されるまでの長い間携わっておりました。後半はFMIDI全般でスタッフもさせていただいていました。ハンドルは書きませんけど、たぶんそれなりに名前は出てましたし、このあとの内容で分かる人には分かるかも…(^-^;。

 当時パソコン通信と言えばNIFTYとPC-VANの二大巨頭でした。どちらにしようかと考えたときに、ちょうどJASRACの実験が始まったのがNIFTYだったのでそれだけの理由で選択しましたね。MIDIデータを取り扱っていたのは他にもゆいNETとかがあったんですが(なつかしーw)、アクセスポイントの関係で選択肢には入りませんでした。地方都市にはAPがほとんどなく、通信にかかる電話代を実費で支払う必要があった時代ですから、草の根的なところは田舎者には厳しかったです。
 最盛期にはNIFTYの会員数は200万人を超え、中でもFMIDI系、とりわけFMIDIDATは人気のフォーラムでした。本来ならJASRACに使用料を支払わなければならない耳コピデータのUL・DLが無料だったわけですから。実験は当初1年間の予定でしたが、延び延びになって結局は10年間になったんでしたかねぇ。突如としてJASRACからの通達によって終わりを告げられ、FMIDIは結果的に閉鎖。同時にMIDIというものの進化まで阻害されたと記憶しています。まぁ今思えば、よく10年も野放しになっていたなぁというところなのかもしれませんけど…。

 思い出しついでに蛇足ですが、私が会員になったときはちょうどLHAがツールとして確立されたあとで、それまでのISH形式によるバイナリデータの送受信から飛躍的に便利になったものだったと感動したものです。拡張子は.LZHで、今でこそ滅多に見なくなりましたが、これがあったおかげで.WRDやら超絶長いドキュメントやらを添付できたのでした。.WRDについては後述します。
 LHAの生みの親・吉崎さんはたしかお医者さんで、直接関わりはありませんでしたが、開発フォーラムはよく覗いていました。そこから「書庫」とか「解凍」とかいう言葉が一般認知されていったんですよね。ネットから言葉が広まっていくという現象はこのあたりから始まっているような気がします。

 FMIDIには「人気投票」という毎月の定例行事がありました。DLして聴いた人がいいと思ったデータに投票するんです。何曲に入れてもいいのですが、1データあたり最高5点、持ち点は30点以内となっていました。やはり音楽が好きな人たちが集まっているところですから、その方たちの耳は当然確かなもので、毎月納得のいく順位がつくわけです。90年代後半まではFMIDIDATでも累計獲得点数ランキングというものを発表していたんですけど、上の方々はそうそうたるメンバーで、のちにプロになった方もいるほどです。私も最終的には総合ベスト10入りだったかな…?10万人以上いる会員の中でのベストテンですからすごいですよね、ねw?そんな関係で雲の上の方々とも交流をもつことができましたし、推薦されてスタッフを任されるに至ったんです。

 MIDIデータの再生にはDOS上で動くMIMPIというソフトが一般的でした。Windowsが3.0〜3.1だった時代で、どうしてもDOSとの互換がイマイチだったために特に.WRDの再現性が低く(MIDI、.WRD共に遅れが生じたのです)、後にDECOPやTMIDIやCMPLAYが出るまでは独壇場でしたね。代理発音機能までも有したMIDIプレイバッカとしての機能はもちろんのこと、何と言っても独自規格であった.WRD再生が素晴らしかったです。
 「.WRD」とは拡張子で、語源は「WORD」、つまり歌詞を画面に表示する機能です。カラオケのように1文字ずつ表示したり色を変えたりして歌詞追いができるというのが最初のウリでした。しかし、圧倒的なコマンドの数々により、歌詞だけではなくDOSの性能をフルに活かしたwグラフィック表示も可能だったのです。画像ファイルは98DOSの普及フォーマットであった.MAGが読み込めましたが、DOSなので扱える色数は16色。とは言うものの、.WRD上でもパレットの指定ができたので実際にはかなり柔軟な色操作が可能でした。このことから、単なる歌詞追いに留まらない.WRDの姿は日々進化を遂げ、今で言うところのボカロPVのような役割を担うまでになったのです。
 事実、前述の人気投票も、後期は.WRDに対する評価が加味されたものになり果て、MIDIデータの評価に対する妥当性を疑問視する声もわき起こりました。これは「PVが良ければ楽曲如何によらず再生数が伸びる」という今のニコ動の実態に酷似していますね。
 実はこの.WRDの可能性を世に広めたのは「りつべ」さんなんです。小林立さん、漫画「咲〜SAKI〜」の作者の方ですよ。DTMマガジンで.WRDに関する連載をしていました。その中で、パレット操作によって絵が動いているように見せたり、.MAG上の読み込む位置を指定することによってまばたきをさせたりと、それまでの.WRDではできないと思われていた技術を開発してくださったのです。ですが、描くパーツ数がとんでもないことになりますし、私以外でこのテクを頻繁に使っていた方ってあまり知りません(^-^;。決してヒマだったわけではありませんが、いったん夢中になると寝ずに没頭する癖は昔からだったもので…。
 人気投票で1位を獲ってしまうと、次回作はものすごく期待されて、自然とULのペースは鈍ります。曲のセレクトも重要ですし。でも、.WRD作成者、通称WRDerならそんなプレッシャーもないですし、後半はMIDIデータ作成よりも.WRDを提供する機会のほうが増えてきて、今思い返してもよくそんな情熱があったなと不思議になるほどです。自画自賛ですけど(^-^;、描けば描くほど絵ってうまくなるんですよ。すると楽しくてしょうがないんです。そうしているとあまりに.WRDが長く複雑になるもんで、EXCELでマクロを組んで.WRDにコンパイルしてましたね〜。懐かしい。…まぁこの辺で私のハンドルネームが何だったのかバレている予感がします(^-^;;;。
 だからこそ、.WRDが評価されて曲データがお粗末でも人気投票で入賞してしまうという事態は、とても複雑な想いで見ていました…。ユニットで参加し.WRDを提供したデータが1位を獲ると、「あれ?もしかして自分ってもうMIDIデータ求められてない?」とか、ね(^-^;。打ち込んでいなかったわけではなく、ほぼ毎日耳コピしてデータも数十曲ストックがあったものの、そういう理由から結局ULはしませんでした。

 実は今でも当時のFMIDIで知り合った人たちとは不定期にオフ会を開いていて、思い出話に花を咲かせたりすることもあります。この経験が今の職に移るきっかけだったかもしれないと感慨深くなるのです。


posted by あずぷろスタッフ at 00:34| 秋田 ☔| Comment(2) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>本来ならJASRACに使用料を支払わなければならない

この文言に違和感を覚えます。

当方も当時を知る者ですので、それなりの年齢を重ねておりますが、議論されていたのは「MIDIデータが著作にあたるのか否か」であって、その当時のメンバー間では「使用料」の問題は議論されていません。一部スタッフだけで議論されていたのではないのでしょうか?

フォーラムメンバーも渡邊宙明氏を初めとする著名な作曲家の方々とも円滑に交流しており、各種データに関する感想もされておりましたし、作曲家の方々もデータ著作に関しては「似てはいても同一のものでは無い」と否定的見解を持っておられました。
スタッフとして関わっていたのであれば、その辺りは知っていると思っていましたが…


とにかく、横暴な JASARAC のおかげで、一個人の作成した海賊版では無い「MIDIデータ」の著作を認められず、MIDI文化が一気に衰退したのは間違いありませんし、こうした事例がありながらも昨今は行きすぎた著作権保護によって消費者側に種々様々な不都合をもたらしているのは過言ではありません。現在はMIDIではなくDTMと名を変えて各種SNSや動画投稿サイトでは発表されておりますが、さすがに当時のFMIDIのような活気は全く無く、ほぼ死に絶えてしまった文化となりつつあるような気がしています。

欧米にあっては日本ほど極端に厳しいものではなく、消費者側に寄り添う形で実に緩い著作権となっており、非常に羨ましく思います。
Posted by 通りすがり at 2019年02月14日 22:17
>通りすがりさん

 こんにちは。返信遅くなって申し訳ありません。

 おっしゃるように言葉足らずでした。「本来なら」ではなく、「現在となっては」が正しいと思います。ご指摘ありがとうございます。
 そして、一部スタッフだけでの議論という部分もご推測の通りです。
 当時のFMIDIは、例えば耳コピによるオケとは呼べないものがあったり、メロそのものが間違っていて原曲から大きくかけ離れたデータも存在したりしていました。もちろん変奏曲の類もアップされてましたし、言ってみれば「何でもアリ」状態だったと記憶しています。
 これらに関しても、一様に著作権使用料が発生するのかという疑問について話し合うのが、定例会議の一つの論点だったことも間違いありません。
 作曲家の方々が文化として捉え、肯定的に受け止められていたのももちろん存じ上げていました。しかし、流れ的に存続に暗雲が立ち込めたあたりから、スタッフも「今までがJASRACの温情によって続いていたのだ…」と諦観するようになったのです。いつしかそれが当然の成り行きと感じてしまったことから、この記事における私の持論に繋がったのだと思います。今でこそ諸々を引っさげて語る気力こそあるものの、その当時は撤退することしかできませんでした。

 私も、さまざまなところでJASRACのもたらす裁判やら不都合やらには辟易しています。果たして権利者のためになっているのかと思うことすらあります。進むべき道は本当にそれで良いのでしょうかね…。

 では、貴重なご意見、ありがとうございました。
Posted by 管理人 at 2019年02月24日 13:18
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